
私 の 大 事 な 友 達
一緒に居ても空気の様に自然で、特別可笑しな事を云わずとも話をしているだけで愉しい。理由を問うまでももない。 私はコイツらの事が心底大好きだ。 だからこそ歯痒くて悲しくなる。
私は今年のだんじり祭りを終えて、35年以上もやってきた南曽根を去る事を決意した。



新 調 元 年
物心付いた時から南曽根のだんじりを曳いてきた。
当時、南曽根のだんじりは地区で一番小さなだんじりで、そしてとても古くボロかった。
其れでも祭り前はソワソワして、大太鼓の音で血が沸き『ソーリャ、ソーリャ』と南曽根のだんじりを曳いてきた。
そんな俺らは何時か新調だんじりを曳きたいなぁと夢みていたが、どうせウチの町は無理だと諦めていた。
しかし夢が実現した! 自治会長がやってくれた!!
地区でも最大級のだんじりで何処に出しても恥ずかしくない自慢のだんじり! 町民の自慢の財産だ。
周りでは強引過ぎると云う声も多く上がったが、多額の寄付金を要するだんじりの新調は強引さがなければ決して実現出来ない。
凄く嬉しかった。 有頂天になった。
当時、南曽根のだんじりは地区で一番小さなだんじりで、そしてとても古くボロかった。
其れでも祭り前はソワソワして、大太鼓の音で血が沸き『ソーリャ、ソーリャ』と南曽根のだんじりを曳いてきた。
そんな俺らは何時か新調だんじりを曳きたいなぁと夢みていたが、どうせウチの町は無理だと諦めていた。
しかし夢が実現した! 自治会長がやってくれた!!
地区でも最大級のだんじりで何処に出しても恥ずかしくない自慢のだんじり! 町民の自慢の財産だ。
周りでは強引過ぎると云う声も多く上がったが、多額の寄付金を要するだんじりの新調は強引さがなければ決して実現出来ない。
凄く嬉しかった。 有頂天になった。

や り ま わ し
だんじりの一番の見せ所。 一番興奮する場面。 この刹那の為に一年を通してやっている。
失敗したら自分を責めて泣き、成功したら皆の顔が最高の笑顔になる。
私はとても長い間だんじりの町旗の下に立ち、若い奴らの涙と最高の笑顔を見てきた。
コイツらが愉しい祭りが出来る様に陰で色んな事をして来た。 家庭と仕事を犠牲にして余計な金を注いだ。
人事でも裏で糸を弾いて汚い事もしてきた。 全ては南曽根の為、そして拾伍人組の若い奴らや青年団の為だと信じてやってきた。
失敗したら自分を責めて泣き、成功したら皆の顔が最高の笑顔になる。
私はとても長い間だんじりの町旗の下に立ち、若い奴らの涙と最高の笑顔を見てきた。
コイツらが愉しい祭りが出来る様に陰で色んな事をして来た。 家庭と仕事を犠牲にして余計な金を注いだ。
人事でも裏で糸を弾いて汚い事もしてきた。 全ては南曽根の為、そして拾伍人組の若い奴らや青年団の為だと信じてやってきた。

みんな良い顔している。 だんじり曳いてたら意識しなくとも自然とこんな笑顔になる。
パソコンの画面を通してみんなの笑顔を見てると色んな想い出が駆け巡る。 涙が溢れてくる。

私は青年団団長を経てから拾伍人組に上がって4年程で八町連合会定例会に出席し、
其の後南曽根の代表役員を会長になるまで務めた。 その間、拾五人組副組長を3年、組長を2回もした。
連合役員になると大好きなだんじりの傍に居れず皆と一緒に飯も食えない。
しかし私にはビジョンがあった。 連合役員になる事で他町の顔役と親睦が深まり、連合の仕事を一生懸命にやっていると南曽根に一目置いてくれるのが肌で判った。 他町の顔役に気に入られると自町の曳行がやりやすくなる。
私は将来、若頭会会長、そして曳行責任者までの目標を立てていて、其の時の為に各町の顔役ともっと仲良くなれる様に次は十二町の代表役員を狙っていた。
それらは私が生まれ育った南曽根の為、そして青年団、拾伍人組の奴らの為だと本気で考えていた。
私らが若い頃、我々が楽しめる様に先輩達が裏でしんどい事をやってくれていた。 だから私らは不自由なくだんじりを目一杯愉しめた。
先輩達の背中を見てきたので次は俺らの番だと裏方をやってきた。
最近は南曽根が他所の町に負けない様に、そして子供達がだんじりを喜んでくれる事を願って、子供会、少年団の育成にも興味が出ていた。
でも若い奴らが育ってくれなかった。 何時まで経っても我々に尻尾を振って新人の気分。
私達が作った縦社会を受け継いでくれない。 下っ端の新人達は自分の事ばかりしている頼りない中堅クラスをバカにしていて、中堅達は下の奴を可愛がる包容力が無い。
お前らは何を見て俺らの後に付いて来たんだ? 数年前から何度も何度も中堅クラスの個人指導してきたが駄目だった。
気が付けば中堅クラスは来年36、7才だと云う。
未だに何の役員にも付こうとしない。 自分が愉しい現場の仕事や上の者から云われた事だけを一生懸命頑張っている。
青年団は年毎の役員が任期を無事に過ごす事しか考えていない。 そして毎年私に助けて下さいと云ってくる。
イサカさんと俺は青年団や組の拡充は町の為だと信じバックアップしてきた。
今年も例年通り青年団と組の一人が力を貸して欲しいと云って来た。
私は問うた、『俺の処に来る前に努力してきたのか?』と。
答えは判っている。 私は一喝してから『努力しろ。 まだ時間はある。期待している』と説教した。
そして本番を迎えてみて何の努力もしなかったのが解った。 南曽根の曳行力の拡充を開いて維持して来たのはイズタニ、イサカさん、私の3人だけだと自負している。 若い奴らは其れに甘んじて挙句の果てには私達が築いた信頼関係に大失態を繰り返し、希薄な付き合いは立ち消えてしまった。
現在35、6才以下の若い奴らには数年前から頭が痛かったが今は失望してしまった。
我々が陰で何をやってくれてるのか知っている筈なのに知ろうともせず、縦社会が機能不全で内部派閥が出来ているのに押さえ込む力もない奴らの塊。
いい年こいたオッサンのクセに考えた事がないのだろうか? 今食べてる食事と酒は誰が用意してくれたものなのか。 連合パレードで大勢の観客の中を駆け巡れるのは誰が準備してくれたのかを。。。

俺 と 松 っ ち ゃ ん
あはは、私の首と頬の引っ掻き傷が生々しい。 喧嘩も祭りの一つ♪
祭りの場面を改めて観ると愉しい気持ちになれる。
祭りの場面を改めて観ると愉しい気持ちになれる。

みんな本当に愉しそう! 最高だねゑ♪
みんな俺の仲間。 俺の大事な友達。 離れたくない。 涙が溢れるよ。。。

もう何も云う事がない。 とにかく愉しいぞっ!
今年の5月~初夏に下の者に悩み塞ぎ込んでしまった。 定例会後の呑み会では下の者の顔を見て笑って呑む事が出来なくなり、仕事があるとウソを付いて呑み会に行かなかった。
今年の祭りは最後だと決めて臨んだ。 でも実際だんじりに触れると血が湧いた。
巨大な大太鼓が放つ音圧は内臓と骨にまで響き、血が沸騰するのが判った。 地響きを轟かせ疾走する南曽根のだんじりが本当に大好きだと想った。
だんじり祭りが終わって帰宅して一人で泣いた。 其の後も少し泣いた。 昨日の朝モモエと電話で話して仕事中に泣いてしまった。
YOUTUBE で【南曽根だんじり】を観て『チョーリャア、チョーリャア』云ってる私の子供に、私が小さい頃から曳いてきた南曽根のだんじりを曳かせてあげたかった。
悔しくて涙が止まらない。
今年の祭りは最後だと決めて臨んだ。 でも実際だんじりに触れると血が湧いた。
巨大な大太鼓が放つ音圧は内臓と骨にまで響き、血が沸騰するのが判った。 地響きを轟かせ疾走する南曽根のだんじりが本当に大好きだと想った。
だんじり祭りが終わって帰宅して一人で泣いた。 其の後も少し泣いた。 昨日の朝モモエと電話で話して仕事中に泣いてしまった。
YOUTUBE で【南曽根だんじり】を観て『チョーリャア、チョーリャア』云ってる私の子供に、私が小さい頃から曳いてきた南曽根のだんじりを曳かせてあげたかった。
悔しくて涙が止まらない。
みんなの事大好きだから憎みたくない。 だからもう離れると決心した。
心残りはモモエとカー吉、書記長の事。
次に若頭会会長を務める人は任期中に下手を打たない様に彼らに再び重責を依頼する事は見えている。
彼らだけが毎年期待されて重い責務を背負っている。 彼らも限界です。
次に若頭会会長を務める人は任期中に下手を打たない様に彼らに再び重責を依頼する事は見えている。
彼らだけが毎年期待されて重い責務を背負っている。 彼らも限界です。
みんなの事大好きだから憎みたくない。 だからもう離れると決心した。
ごめんな。
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